江東区

昔は東京は15区だったそうですね。その15区の中に深川区という区があったそうで、その中に
深川熊井町
という場所がありまして、ちょいっとばかり調べてみましたら・・・

永代(えいだい)
昔今の佐賀あたりは島のような地形をしていて永代島とよばれていた。幕府が元禄年間
に埋め立てをしたがその後払い下げられ、東永代町、西永代町と名づけられた。
関東大震災復興で、この地に隅田川の橋がかかりその名が永代橋となると、昭和6年に
深川小松町、深川熊井町、深川諸町、深川相川町などを合併し新たな町名をつける際に
この地に深川永代という名をつけた。
昭和44年に永代となった。

だそうで、今の江東区永代に「くまいちょー」があったという訳です。調べていきますと・・・

相川町、熊井町、富吉町、諸町、半町、小松町が合併して、永代一丁目となり、福住町、蛤町、中島町、黒江町、大島町が合併して、永代ニ丁目となった。

永代一丁目だそうで・・・。どうせ一丁目、二丁目って分けるのなら永代一丁目を熊井町、永代二丁目を中島町にすればニヤニヤできたのにぃーっていう、いや同じグループになれない運命だったという事も考えられますよねぇ〜。
んで、何やら深川ウォークなるものがありまして案内を見てますと・・・

「・・・親指ほどの太さの一本うどんを、柚子や摺胡麻、葱などの薬味をあしらった濃目のつゆで食べる一本饂飩の豊島屋」、「熊井町蕎麦屋翁庵」、池波正太郎鬼平に食べさせた架空の名店、芭蕉奥の細道にそして伊能忠敬が日本地図づくりに旅立ち、滝沢馬琴が生まれ、平賀源内がエレキテルの実験をし、一年の内で祭りが一番大事な「しとびと」が住んでいた川と運河で結ばれた江戸のベニス。

ってな訳でして、くまいちょーはお蕎麦派だったようで、徳永町ならおーどん屋だったって事でしょうか。。。じゃなくて「鬼平犯科帳」で登場したお蕎麦屋が熊井町の扇庵だそうです。あと例の平賀源内のジリリキテルもここら辺のお話らしく、どっかしらでauとやらと繋がっていたんでしょうね〜。

・・・今度東京行ったら東京駅降りて永代通りを散歩してみようかなーって思いましたね。