戦国武将

〜その10〜 山中幸盛

通称、山中鹿之介。出雲の国を治めていた尼子氏の重臣なのかな。尼子家滅亡後も尼子家復興のため奮戦していたのですが・・・。毛利軍に月山富田城を攻められ尼子家は滅亡。その後野に降り、もう一度山陰に入るも次々と協力者が毛利家に寝返りまたも逃げる事にな…

〜その9〜 立花道雪

雷に当たっちゃった武将です。半身不随になっても戦場に出て死ぬまで指揮を採っていたというのですから鬼道雪と呼ばれても何の不思議もありませんよね。博多港を狙っていた毛利家の数々の計略を何度も采配でねじ伏せたと言われていまして、元々は戸次鑑連と…

〜その8〜 池田輝政

この人の人生は「本能寺の変」後大きく変わります。小牧・長久手の戦いで秀吉側についた父そして一緒に出陣した兄を無くし(輝政も出陣したが、説得により長久手から離脱)、その後、池田家の家督を継ぐ事になります。その後、秀吉の元で北陸・小田原・九州征…

〜その7〜 岡部正綱

今川家の重臣。徳川家康が人質の頃、当時今川家家臣は家康(竹千代)に冷たくしていたのだが、正綱は訳隔てなく家康とも付き合いをしていたようです(天下統一後は岡部家は岸和田城を与えられたのはこの頃の恩返しとまで言われていますね)。今川家滅亡後は武田…

〜その6〜 直江兼続

上杉景勝の家臣。「愛」という文字の兜をつけていた。関が原の戦いでは石田三成が負けると予期していたようですが・・・・。本来なら西から石田三成、東から上杉景勝で徳川家康を挟み撃ちにしようとしたのです。しかし家康の方が何枚も上手だったようですね。そ…

〜その5〜 磯野員昌

北近江の浅井家の家臣です。この人は「姉川の戦い」で有名でしょうね。姉川の古戦場は行ったことあるのですが、やはり凄かったようですよ。浅井軍の先鋒隊として織田軍に攻めはいりまして13段備えの織田軍を11段まで潰す猛攻を見せます(11段崩しと呼ばれてい…

〜その4〜 大谷吉継

ひょっとしたら独眼竜で有名な正宗よりも不自由だったのかも知れませんね。しかし、この人の頭もキレ、武も出来る事があったのでしょうか人望はあったようですよ。 関が原の戦いでは家康も吉継の才能を買っていたのですが、西軍につくと聞いて驚いたようです…

〜その3〜 竹中重治

竹中半兵衛の方が圧倒的に有名ですよね。初めは斉藤氏の家臣その後浅井氏を経て秀吉の下で働く事になる。稲葉山城を少数の人数で奪い取るなど、武というよりは智の武将でしょうか。とにかく賢かったそうですよ。 人生50年と言われていた時代でも36歳という若…

〜その2〜 清水宗治

悲運の武将です。武士っていうのはいろいろな死に方があると思うのですが、この人以上の死に方をした人はいないんじゃないですかね。 高松城水攻めの最中に本能寺の変が起こり、毛利軍と休戦調停へ、この時秀吉は信長の死を毛利に伝わらないようにしたようで…

〜その1〜 武田信繁

武田信玄の弟にあたります。一生を兄に捧げた男の中の男でしょうか。とても素敵な武将の一人ですね。川中島の戦いで上杉軍の猛攻を受けたが「援軍無用、策講すべき」と伝令を残し、壮烈な討ち死にをした武将です。 お仕事で長野県に行く事があるんですけど、…