〜その2〜 清水宗治

悲運の武将です。武士っていうのはいろいろな死に方があると思うのですが、この人以上の死に方をした人はいないんじゃないですかね。
高松城水攻めの最中に本能寺の変が起こり、毛利軍と休戦調停へ、この時秀吉は信長の死を毛利に伝わらないようにしたようです。もし毛利家に伝わっていれば、戦況は変わっていたからです。
で、城兵を助けてやる代わりに清水宗治の首を出せという事で宗治は水上で切腹。信長の敵討ちをすぐにしなきゃならないのに、宗治の最後を見届けるまで秀吉は一歩も動かなかったそうです。後に秀吉は小早川隆景に「宗治は武士の鑑」と言ったそうです。敵方に認められるっていうだけでも凄いことですけど、それが秀吉っていうのも凄いことですよね。